“「はやぶさ」はただの金属のかたまりだ。生命を持たない。意識もない。人の形すらしていない。
それでも僕らは、その「ただの金属のかたまり」に感情移入してしまうのを抑えられない。涙が出るのを止められない。心から「お帰り」「よくやった」と言ってやりたい。
「はやぶさ」に心がなくても、僕たちのこの想いは偽りではない。小説にたとえてみれば分かる。
”
「はやぶさ」が「ただの金属のかたまり」にすぎないように、小説は「ただの紙に印刷されたインクのしみ」(もしくは「モニターに表示されたドットの列」)にすぎない。本と呼ばれる紙の束には、どこにも頭脳は存在しない。つまり本は意識も心も持たない。キャラクターに心があるように見えるのは錯覚だ。紙の上にしか存在しないものに心があるはずがない。
にもかかわらず、読者はキャラクターに感情移入する。紙の上のインクのしみにすぎない彼らを、僕たちは生きた人間と同じように考える。彼らが活き活きと動き回っていると感じる。彼らの魅力に萌え、時として本物の人間と同じように愛する。彼らの行動を応援し、彼らの苦悩にともに胸を痛め、悲しい運命に泣き、幸福な結末に喜ぶ。
物語を読んでいる間――いや、読み終わってもなお、僕らは確かに、彼らに生命と心があると感じている。
山本弘のSF秘密基地BLOG:なぜ人は生命のない機械にまで感情移入するのか (via katoyuu) (via nagas) (via karegyuoi)